読みもの / 学校と同窓会の公開資料から

天守台のふもと、校名と学びの変遷をたどる

逆川を挟んで校舎を眺めると、その奥に掛川城が見えます。学校の沿革と同窓生の記録から、掛川西高校の歩みをたどります。

掛川西高校の校舎と掛川城

写真:Ichitaro(Wikimedia Commonsの作者欄は推定表記) / 原写真・記録 ↗ / CC BY-SA 3.0。原画像を使用し、ページ上で表示サイズを調整しています。写真はCC BY-SA 3.0で提供します。撮影日は独立確認していないため、ここでは記載していません。

01 / 学校のはじまり

二つの掛川中学を、年代で読み分ける

学校公式の沿革は、1880年に設置された掛川中学校と、1886年の廃止を記しています。1901年には改めて学校が設置され、同年6月1日に開校式が行われました。

同じ校名でも、その間には制度上の区切りがあります。学校の始まりを知るときは、現在の学校が開校記念日とする6月1日と、先行する学校の記録を分けて読む必要があります。

出典:掛川西高校「沿革」明治欄 ↗

02 / 校名と制度

掛川第一から掛川西へ

学制改革に伴い、1948年に静岡県立掛川第一高等学校となりました。翌1949年には静岡県立掛川西高等学校へ改称し、男女共学制となります。

現在の校名は戦後の制度変更の中で生まれました。古い資料の「掛川中学校」「掛川第一高等学校」を読むときも、資料の年代と当時の学校名を対応させると、そのつながりを確かめられます。

出典:掛川西高校「沿革」昭和23~24年 ↗

03 / 同窓生の記録

制服から見える、共学初期の学校生活

東京冀北会に掲載された三谷充弘さんの「歴史探訪18」は、共学初期の卒業写真と制服の変化を取り上げています。そこには、セーラー服とブレザーが併存した時期が記録されています。

筆者は、大角幸枝さんから聞いた母・大角幸子先生による制服デザインの話も紹介しています。導入時期には写真をもとにした筆者の推定も含まれるため、確定した沿革とは区別して読むことが大切です。

出典:東京冀北会・三谷充弘「歴史探訪18 たまにはミ~ハ~」 ↗

04 / 校歌と校章

葛の葉とキキョウのつぼみ

学校公式noteは、校章が三枚の葛の葉を組み合わせ、その間に掛川藩主太田氏の家紋であるキキョウのつぼみを配したものと説明しています。地域の歴史が、学校の印にも重ねられています。

同じ記事では校歌の各番に込められた意味も紹介しています。歌詞や図柄そのものを転載するのではなく、学校が示す説明と原典へのリンクから、その背景へ進めるようにしました。

出典:掛川西高校公式note「掛川西高校 ~校歌・校章~」2023年10月12日 ↗

05 / 学びの広がり

理数科の設置から、探究する学びへ

1986年、理数科が1学級40名で設置されました。学校の沿革に残るこの出来事は、普通科に加えて理数の学びの場が設けられた節目です。

現在の学校公式の理数科案内では、知的好奇心と探究心を培う教育や、互いに刺激し高め合うクラスを特色として挙げています。創設時の記録と現在の案内を、別々の資料として読み比べられます。

出典:掛中・掛川西高校同窓会「学校及び同窓会の沿革」昭和61年 ↗ / 掛川西高校「理数科案内」 ↗

掛川西高校の歩み 略年表

1880掛川中学校設置。 出典 ↗
1886先行する掛川中学校を浜松中学校へ合併し、廃止。 出典 ↗
1901学校設置、6月1日に開校式。 出典 ↗
1948学制改革により掛川第一高等学校となる。 出典 ↗
1949掛川西高等学校へ改称、男女共学制となる。 出典 ↗
1986理数科を設置。 出典 ↗
2000百周年記念館落成、創立100周年記念式典。 出典 ↗
2020創立120周年記念式典。 出典 ↗

この記事のもとになった資料

学校・同窓会の公開資料をAIで収集・整理して編集しました。卒業生への独自取材や運営者自身の在学経験を記した記事ではありません。2026年11月6日確認。

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